びっくり。
9/30に退院、その日の午後にアプリから医療保険の請求手続きをしたのだけれど、何と、もう振り込まれていました。
10/2付だったので、たったの2日!
さすが大きい会社です、日本生命。
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わたしが会社員だった昭和の時代、大手生命保険各社のセールスレディが、社内に出入りしていました。
いまでは信じられない光景だけれど、パンフレットやメッセージ付のキャンディなどを、昼休み中に社員の机の上に配って、営業のきっかけを作っていたのです。
昼食を終えて戻ったデスクで、商談。
なかよしの同僚は、全国一位と評判のSさんの住友生命に加入しました。
他にも何人も加入、Sさんは大躍進。
でも、すきな劇場ナンバーワンが日生劇場だったワタシは、入るなら日本生命と決めていたので、Sさんからは飴ももらいませんでした。笑
ニッセイレディのTさんからパンフレットはもらっていたのだけれど、なかなか決心がつかず…。
ある日の「今月足りないの。おねがい入ってー」という本音の営業に、保険加入を決めたのは1985年12月のことでした。
高卒でお給料も少なかったので、小さい金額の終身保険と医療保険だったけれど、あのとき入っていて、ほんとうによかった。
当時21さいのワタシは(特に相手もいなかったけれど)数年後には普通に結婚して家族を作ると信じていました。
でも、ちがう人生が待っていたのです。笑
こうなってみると、死亡保険300万円は、お葬式や後始末代として充分だし、医療保険にも何度か助けられています。(コロナのときも)
今回は、手術が10万円と、入院が1日5000円×20日、合計20万円をいただきました。
人工股関節の手術は、人工関節も高額、麻酔も高額とは聞いていたけれど、リハビリ代の他にもたくさんの項目があり、請求書には200万超えの金額が記されていました。(ひえ〜)
高額医療控除?のおかげで実際の支払いは、日本生命の保険分でまかなえて、ほんとうにありがたいです。
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きのうは整形外科へ行き、先生に現状を報告、今後のリハビリの予約をしてきました。
リハビリの受付に「以前の担当者で」と言われたので首を振り、ちがう人を希望したけれどダメでした。
以前の方は、前の人が長引いて開始が遅れたのに定時で終了が連続だったので…と当時も言ったし、今回も伝えたのだけれど。
マッサージが少なくて、わたしも知っているような体操に時間を使うのも残念、というのは言わなかったけれど。
2年経ったし、変わっていることを祈ります。
(顔とかは全く記憶にない)
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そしてきょうは、職場にあいさつへ。
わたしが働いているのは、従業員数両手以下の小売店。
小さな店なので、シフトからひとり欠けるのは、大打撃だったと思います。
特にワタシは長く働いていて、細々したことを(勝手にいろいろ)やっていたから。
まず社長に会いに行き、無事退院したこと、長期間お休みをいただいているお礼を言いました。
店の営業は問題なし、経営は順調、他のスタッフの負担を増やさないように、2店舗のうち1店舗を閉めたり、短縮営業したりしているから、気兼ねすることはない。
復帰しても、決してムリをせず、日数も時間も調整して。
そしてもし収入面で不安があるのなら、いくらでも何とかするから、と。
あなただけでなく、スタッフみんなのためにも、店を改装していく予定。
くれぐれも、脚立に上ったり、2階(倉庫があってハシゴで上る)に上がったりしないように。
とにかくカラダを第一に、これからも長く働いて欲しいから。
あたたかいことばに、ほんとうに感謝しかありません。
来週か再来週には、というワタシに、社長はカレンダーを見ながら、とりあえず20日までは休んで10/21からにしましょう。
スタッフのみんなも、もちろんいろいろあると思うけれど(迷惑や負担をかけていることは確実なので)、やさしく迎えてくれる感じでホッとしました。
ひっきりなしの接客の合間に、ムリしないでね、気をつけて、と声をかけてもらってうれしかったです。
休んでいる間、実家方向への電車には乗っていたけれど、都会へ向かったのは久しぶり。
おおぜいの外国人を目にして、現実に戻る心の準備が少しずつ出来てきました。
あと2週間と少し、リハビリにつとめ、仕事復帰に備えたいと思います。
はりきらないで、がんばります。
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Sさんのブログを見て、退院したらすぐに買おうと思っていたのに、近所のコンビニ2軒とドラッグストアは扱いナシ?スーパーは棚に表示があるのに品切れ。
スーパーには歩行練習がてら毎日通い、おとといには、アイスの品出しの方に「コレは入荷しないのでしょうか?」と聞いてみるも、ないとの答え。
ダメ元で、きょうも行ってみたら、ありましたー!
うれしいっ!
もっとシナモンでもよいな。
クッキーじゃなくて、ナッツの方がよいな。
やっと食べられたのに贅沢なコトを思うのでした。